カウンセラーのプロフィール
カウンセラー
樂家 りひろ(らくや りひろ)
1972年(誕生)
三重県四日市生まれ。幼少期から三重県四日市市で育つ。幼少期から機能不全家族、D V、親の喧嘩が絶えない家庭環境の中で、虐待を受けながら育てられる
1986年(14歳)
いじめの恐怖から自分を見失い、非行少年になる。ある事件を起こし逮捕される
1991年(19歳)
慢性的な喘息を発症
1993年(21歳)
あたたく楽しい穏やかな家族に憧れ若くして結婚。次第に空虚感、違和感に襲われ始める
2002年(30歳)
自営業を営んでいたが、取引先が倒産。廃業に追い込まれ自分を見失う。うつになり引きこもりになる。生活費が底をつき、家族や命をつなぐため職探しをする。万引きGメンになる
2003年(31歳)
万引き犯や、その家族に心理カウンセリング的な関わり方をするようになる。万引き(クレプトマニア)、非行、不登校、引きこもり、いじめ、大人のニート、うつ、パニック障害、家族・夫婦問題の相談を受け始める
2006年(34歳)
自身がパニック障害を発症。パニック障害やうつの通院を始めたが治らず
2007年(35歳)
心理療法と出会い、自分と真剣に向き合う。気づき・許し・癒されたことで、自分らしさを取り戻す
2008年(36歳)
不思議と、うつ、パニック障害、空虚感、違和感、慢性的な喘息が改善されていく
2009年(37歳)
本来の自分らしさを取り戻したことによって、本当の自分の人生を生き始める。子供の頃からの夢でもあったプロドラマーになる
2017年(45歳)
さらなる自分らしを実現するため、心のプロになる。外資系企業のメンタルヘルス室にて、専属心理カウンセラーになる
三重心理カウンセリング研究所「樂家の森」を開始
↓心理療法家 樂家りひろ のプロフィール動画(約56分)です
こんにちは、
あらためまして カウンセラーの 樂家 りひろ(らくや りひろ)と申します
私の子供の頃の家庭環境は、機能不全家族、D V、虐待をする父親、負けず嫌いの厳しい母親のもと、日々恐怖に怯えながら育てられました
あたたかく楽しい家族に憧れ、若くして結婚しましたが、体の病気、心の病気に悩まされ続け、さらには憧れだったあたたかい家族どころか、私自身が父親のように家族に恐怖を与える存在になっていました
私自身や、私の家族もかつてはたくさんの生きづらさの中にいました
10代の頃は、非行、いじめ、生きづらさ、慢性的な喘息。
大人になってからは空虚感、違和感、燃え尽き、うつ、パニック障害に悩まされる日々
落ちるところまで落ちて、ようやくこのままの自分ではダメだ。なんとかしなければ!と本気で自分と向き合ってきました
心理療法との出会いが、私を救ってくれたのです
本気で心理療法を実践することで、試行錯誤の結果10年がかりで生きづらさから解放され、さらにはうつ、パニック障害、慢性的な喘息をも克服してきました
もう自分のように周りの人が苦しまないで欲しい
そんな思いからカウンセラーを続けています
アダルトチルドレン、不登校、引きこもり、非行、いじめの子供を持つ親御さん
うつ病、パニック障害で悩まれている方
人間関係、恋愛、ストレス過剰、休職、生きづらさを感じている方
機能不全家族、万引き症(クレプトマニア)などで苦しんでおられる方
様々な生きづらさを感じている方の相談にのってきて、18年25000回を超えるカウンセリングの経験があります
現在は(息子2人・娘1人)の子供を育て上げましたが、自分の子供が不登校になったり、いじめにあったり、そのせいか子育ての悩み相談も多数受けています
本当に変わりたい
なんとかしたい
でももう無理・・・
そう思われているあなたへ
悩み解決にはカウンセラーとの相性がとても重要
心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、
クライアントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性が非常に重要になってきます
ですので、私がどのように悩み、どのような経緯で悩みを克服してカウンセラーになったのか、ご興味のある方はぜひご覧ください
かなり長いプロフィールになります。
よろしければお時間のある方は、お読みいただけたらと思います
↓ もう少し詳しいプロフィール ↓
「無邪気な子供 寂しい思いを抱き始めた幼少期」
【幼少期】
幼少期は無邪気で外で遊ぶ活発な子供でした
夕方遅くまで公園や森へ行き、探検ごっこなどが大好きな子供で毎日が全力少年のような子供でした
しかし親に保育園へ迎えに来てもらうのはいつも最後の方で、両親は共働きだったため、夕方遅くまで母のお迎えを待っていた記憶があります
保育園の先生と他の園児一人ほどとコマ遊びなどをして、寂しい思いを抱えて迎えを待っていた。
そのような園児でした
「父が怖く恐怖に怯えた子供時代」
【小学生時代】
家族構成は父・母・兄・自分の4人家族。長屋のアパート暮らしで、生活も裕福な家庭ではありませんでした
小学校に入るころには物心もつき始め、親の喧嘩が多い家庭だと気づき始めました
両親とも帰宅が遅く、夜10時ごろまで兄と二人でお腹をすかせながら留守番をしていたのをよく覚えています
父親は不平不満、愚痴、文句、恨み、妬み、嫉みごとを毎日のように発する人で、機嫌が悪いとすぐに暴れるような人でした
母との喧嘩も絶えず起こり、子供らしくのびのびと健やかに育ててもらえる両親ではありませんでした
父は、D V・幼児虐待者だった
父の暴力から逃げるため母と兄と自分で何回も家出をしたこともありました
自分も父から暴力を受けたことも数多くあり、父親が帰宅すると恐怖から寝床に真っ先に向かい、
布団の中で寝たフリをしながら怯えていたのを覚えています
ある時、両親のすごい喧嘩が始まり恐ろしいほどの大喧嘩が起きたことがありました
父が母に暴力を振るい、母は台所から刺身包丁を取り出し、父に向け殺し合うような大喧嘩が起きたのです
その時は怖くて、怖くて、恐怖で泣きながら怯えていたのを覚えています
また自分が親に怒られた時など、しつけとして裸で外に出されることもありました
いわゆる幼児虐待です
いつか大きくなったら仕返ししてやる
そういう想いが芽生えはじめたと思います
しかし不幸の中にも、小学6年生の時にドラムという楽器に出会ったのです
この出会いがその後の人生につながっていくとは夢にも思いませんでした
「非行少年・罪悪感」
【中学校時代】
私の中学入学当初は校内暴力が問題とされた時代で、私はいじめの対象にならないかと、恐怖心のなか入学したのを覚えています
いじめられるのが怖かった
その後、いじめの対象にならないよう過ごしてはいましたが中学2年生の頃、いじめの恐怖から自分を守るため、自ら非行行動をするようになっていきました
自分自身の不安や恐怖心がコントロールできない感覚に襲われはじめたのです
仲間と悪行を繰り返すようになり、未成年が禁止されていることを破ることに、快感や楽しさを覚えるようになっていきました
そしてついには・・・
警察に逮捕されてしまうという、とんでもない事件を起こしてしまったのです
完全な非行少年になっていた
またある時、自分の一生の後悔につながることをしてしまいました
悪ふざけから、幼なじみの親友をみんなでからかってしまった
その直後からその友人は、家庭内暴力を起こすようになり、家中のふすまや壁を壊し始めるようになったのです
親にも暴力的な態度をとるようになってしまい、たまたま私がその友人へ遊びに行ったとき、友人は母親に暴力を振るい大暴れしていました
自分はあまりの悲惨さと、友人の母親が悲しむ光景に耐えられなく、とっさに友人を殴りつけ暴力をやめさせたのです
話は、中学校時代から飛びますが、
その後、友人は家庭内暴力も少しづつおさまり、
高校へと進学していったのですが、高校卒業後、就職先の健康診断で身体に異常が発覚
入社後直ぐ、入退院を繰り返すようになったのです
肺に影があり、原因がよくわからない病気だった
18歳から入退院を繰り返す日々
そして・・・
23歳で亡くなってしまった
後々わかったのですが癌だったそうです
幼なじみの親友だった
友人が死んだ原因はがんという病気でしたが、その病気になる本当の原因を作ったのは、もしかして自分ではないのか・・・
あの時「からかった」のは、もしかして「からかいではなく、いじめではないのか」
自分が友人の「こころを傷つけてしまい、こころを壊してしまったから死んだ」のではないか
「いや違う」
「いじめなんかではない」
「あれはただの遊びだ」
そう自分に言い聞かせながら、自分のせいにしないようにしていました
でも、もしかして原因は自分にあるのでは・・・
得体の知れない罪悪感を抱えながら生きていくことになってしまったのです
「親との決別」
話を高校生時代に戻します
【高校生時代】
子供の頃から何のため勉強するのかわからず勉強は大嫌いでした
中学校時代の逮捕以来、反省から非行行動は治まり嫌々ながらも受験勉強をすることにしました
高校受験では私立の滑り止めが全て落ちてしまったため、親からは県立高校一本で受験して「落ちたら働くように」
そう告げられました
まだ働きたくない思いがあったため、県立高校一本の受験に真剣に向き合い運良く合格できた
しかし嬉しさよりも・・・
「落ちたら働くように」
そう告げられことが、どこか親の冷たさを感じた
高校に入ってからも、家庭環境は相変わらず両親・私との間の喧嘩も絶えなかったです
ある時、私と父とで取っ組み合いの喧嘩になりました
その時、小学生の時に抱いた大きくなったら絶対に仕返ししてやるという想いがよみがえってきたのです
よみがえった復讐心が爆発し殺意になりました
父親の頭を杖で何回も、何回も、何回も、何十回も頭が割れるまで殴りつけました
本気で殺そうと思った
父は血だらけになり瀕死の状態になるまで殴りつけましたが
殺せなかった
またある日、母親とも殴り合いの大喧嘩になったときです
負けず嫌いの厳しい母親ですから、母親は絶対に後に引かない
父親のような殺すほどの殺意はなかったのですが、大喧嘩のなか、こころにある決意が芽生えました
17歳のときです
「母親や父親みたいな親には絶対にならない!」
大喧嘩のなか、そう母親に告げた
母親は、「あ〜そうか!」「立派な親になってみたらええやないか!」そう皮肉を交えて罵ってきました
私の心の深く、奥深くで必ず『あたたかく楽しい穏やかな家族を自分で創る』
そう心に誓ったのです
本気で心の奥深くに刻み込んだのを、今でも鮮明に覚えています
早く社会人になって家族を創ることが目標になっていました
家の経済状況も悪かったですし、高校3年の進路相談では勉強も嫌いでしたので、大学進学はせずに就職に向かっていきました
しかしやりたかった仕事は、小学生の時から続けてきたドラムだった
荒れ狂った家庭環境のなか、唯一こころのよりどころだったドラムという楽器
「プロドラマーになりたい」
夢を担任の先生へ打ち明けました
こころに大事にしまっていた夢を人に話すのは怖かった
「笑われるのではないか?恐怖で本当に怖かった」
しかし担任の先生は笑うどころか真剣に夢を聴いてくれました
さらに音楽の先生にまで相談しに行ってくれたのです
担任の先生は「自分の生徒にプロドラマーになりたい生徒がいる」
「なんとか想いを叶えてあげれないか」
そのように、音楽の先生まで相談しに行ってくれていたのです
私は音楽の先生と面談することになり、音楽の先生も私の夢を真剣に聴いてくれました
音楽の先生は「友人にプロドラマーではないが、昔プロのミュージシャンを目指していた人がいる」
「その世界に詳しいと思うから相談に行ってこい!」そして相談の連絡をしてくれたのです
早速私は、音楽の先生から紹介してもらった方まで相談に行きました
するとその方は「プロのミュージシャンになりたいのなら東京へ行かないとチャンスは巡ってこない」
東京には「プロのミュージシャンを目指している人は山ほどいる」
例えば「人混みに石を投げたらプロのミュージシャンを目指している人に当たる」
「何年も芽が出ず、歳ばかりとってしまうプロミュージシャン志望者がゴロゴロいる」
「そのくらい沢山の志望者がいるぞ!」
それでも「プロのミュージシャンを目指す覚悟はあるか!」
そのように言われました
私は、覚悟を持って目指そうと思いましたが、心の中でこのような想いが湧いてきました
「もし人生を賭けて本気で目指したのなら叶うかもしれない・・・」
しかし叶ってしまったら、コンサートなどで全国ツアーを回り、毎日家に帰ってこれなくなる。結婚して子供が産まれたら子供の成長する姿が見れなくなってしまう
毎日家族の顔を見て、子供の成長を感じて暮らしたい
日曜日は必ず休みで、家族みんなで森とかに出かけ、楽しくピクニックとかに行きたい
本当にプロドラマーの夢が叶ったら嬉しいが、一番大事な「あたたかく楽しい穏やかな家族が創れなくなる」
そう想いが湧いてきました
そのような想いから夢のプロドラマーを諦め、日曜が休みだろうという理由だけで、建築関係の仕事に就職していきました。
しかし、ちょうどこのころから原因不明の喘息に悩まされるようになっていったのです
「憧れだったあたたかい家族を求めて結婚する」
【20代】
高校の進路相談でプロドラマーの夢を諦めた後、日曜休みである建築関係の仕事に精を出していました
「早く結婚してあたたかく楽しい穏やかな家族が創りたい」
若い夫婦や子供を連れた家族を見ると、その光景が妙に気になって頭から離れなかったです
そして運よくご縁があって、21歳で結婚いたしました
あとはお金さえあれば幸せになれる
そう想い、大金を求めて23歳で建築関係の仕事で独立起業をしていきました
この独立起業がなぜか運よく軌道に乗り、上手くいったのです
自分は若くして、家族を持ち独立もして不足していたものは全て手に入れた!
お金も持っている!
どうだ!すごいだろ!
人に認められたい欲求が人一倍強かった
しかし、日に日によくわからない妙な空虚感や違和感を感じるようになっていったのです
日々生活するなか、次第に得体の知れない空虚感や違和感は増していき、喘息も治る兆しもありませんでした
医師からは「慢性的な喘息です。一生付き合ってください」と言われ、空虚感や違和感の治療などもしてもらえませんでした
日々悶々と過ごし、幸せ感を感じないなんとも言えない空虚感や得体の知れない違和感。季節感も感じることができず、喘息の発作にも悩まされる日々
妻との喧嘩も絶えず起こり、子供たちにも大声で怒るようになっていました
妻や子供たちに、不平不満、愚痴、文句、恨み、妬み、嫉みごとを毎日ように言い、
「誰のお陰でご飯が食べれるのや!」
「もっと俺に感謝しろ!」
そうやって自分の存在をアピールして、毎日イライラや怒りでいっぱいでした
家の雰囲気は悪く、家族仲は最悪の状態になっていました
「自分を見失う・絶望・どん底・驚き」
【30代】
そんな20代も終わりを告げ、30代になったころ取引先が倒産してしまい、廃業に追い込まれてしまいました。
収入も途絶え、絶望になり完全に自分を見失い、燃え尽きてしまいました
働く意欲を失い、引きこもりになっていったのです
気づいたらなにもしたくない抜け殻のような自分
完全にうつになっていた
意欲が全く湧かない
なにもしたくない
なにをするにも億劫になる
半年もの間で生活費も底をつきかけてくるし、不安と絶望しかありませんでした
妻・子供3人を路頭に迷わせてしまったのです
あたたかく楽しい家族どころか、最悪・どん底の状態でした
元社長だったプライドが邪魔をして、仕事を探せないでいた
うつで引きこもりになっていましたが、命をつなげるため働かないと生きていけない
身体にムチを打ちながら職探しするしかありませんでした
そんななか、万引きGメンという仕事が妙に気になりました
万引きGメンという仕事は派遣された店舗で1人勤務で働けて、人間関係の煩わしさもないので、うつでもなんとか働けると思い、運よく就職までこぎつけることができました
万引きGメンとして働き始め、少しずつですがうつは軽減してきました
しかし空虚感や違和感、喘息の発作には悩まされる日々は改善できず、生きづらく、つらい毎日を耐えながら仕事に行くしかありませんでした
そんななか、万引きをする人の現状は普通の主婦、真面目なサラリーマン、社会的信用のある方や、健康的な高齢者がほとんど
そのような一般の人が万引きする現状に驚きを隠せませんでした
私が思っていた万引きする人達というのは、不良少年や不良少女、素行の悪い大人だけだと自分は思っていたのです
しかし現場で起きている万引きの現状は想像を絶するものだった
【カウンセラー的な関わり方をするようになっていく】
万引きをする原因は様々ですが万引き犯と向き合ううちに、なぜ普通の人が万引きをするのだろう?
もしかして、こころに原因?があるのかもしれない
そう思うようになり、様々な心理学・心理療法を学ぶようになっていきました。万引き犯やその家族に、カウンセリング的な関わり方をするようになっていったのです
規則上、万引き犯を一人では帰すことができないため、警察や、親、親類に迎えに来ていただくのですが、親や親類はなぜ自分の子供や、妻、夫、祖父母が万引きするのか?
これからどのように接していけば良いのか?
どう対応していいかわからない?
そのように思われる方々ばかりでした。
1000人以上の万引き犯と向き合ううちに、その原因には家族問題が潜んでいる
そう気づくようになりました
万引きする人は、家族問題のガス抜き役をしている
万引きした本人もそのような背景があるとは思っていない
万引きした本人は、当然万引きはしてはいけないことは分かっている
でも無意識にやってしまう
万引きした人だけが悪い。素行が悪い。そう考えるのが普通なのですが、真の原因の奥には家族問題が潜んでいる
自分も非行少年だった
自分自身も子供の頃、父がものすごく怖くて怯えながら過ごしてきた。虐待も受け、母の帰りが遅く寂しい思いをした。そういう家族問題から非行に走ったのではないか?
そう、おぼろげながらに考え始めるようになっていったのです
「これからの生き方に悩み始める」
【30代中頃】
この頃、この先の人生を真剣に考え始めるようになっていました
子供が3人いましたが「お金だけ稼いで家族のためだけに生きるだけでいいのか?」
子供に「幸せな生き方を教えるにはどうしたらいいのか?」
「親として何を残していけば良いのか?」
「本当の教育とはなんなのだろう?」
そもそも20代のころからなぜ妙な空虚感や得体の知れない違和感をこんなにまで感じ、慢性的な喘息に苦しみ、なぜ生きづらいのか?
さっぱりわからなかった
万引き犯やその家族に、カウンセリング的な関わり方をするようになっていったのに、なぜ自分には上手くカウンセリングできないのか?
不安感や恐怖感、絶望感にさいなまされていました
「ある日、突然パニック障害になる」
あるとき電車内で急に激しい呼吸困難になり、死ぬほどの呼吸困難に襲われ救急車で運ばれてしまいました
このまま死ぬのではないか、そう思うほどの呼吸困難に襲われたのです
呼吸困難に襲われるなか、こころのなかでまだ死ねない!
子供をまだ育てている途中だろう!死んでたまるか!
死ぬほど苦しい呼吸のなか、自分に言い聞かせ耐え抜いていました
診断はパニック障害
診断後はパニック発作に怯える毎日になっていきました
「心理療法に助けられる」
長引く空虚感や違和感、うつ、パニック障害、喘息、通院の日々
自分をなんとかしたい
すがるような思いで、勇気を出してある心理カウンセリングを受けにいきました。何回もカウンセリングを受ける内に、あるキーワードに気づきはじめたのです
23歳で亡くなった親友への自責の念
「からかった」のではなく、「いじめ」たという「罪悪感」
その罪悪感から解放されたいという想い
心理療法を繰り返すうちに、罪悪感から解放されていきました
自分を「許す」ことで罪悪感から解放され、癒しが起きてきたのです
許しや癒しが進むにつれ「自分がアダルトチルドレンだったんだ」と知りました
アダルトチルドレンということに「気づき」・「素直に認める」ことで生きやすくなってきたのです
不思議と長年のこころの空虚感・違和感も自然となくなっていきました
長年悩まされた空虚感や違和感、うつ、パニック障害、慢性的な喘息も徐々に自然と治まってきたのです
ある回の心理療法で、ある場面を想像した時です。自分が妻や子供に怒っている姿が「父親と同じような口調で怒っているな!」という気づきがありました
「誰のお陰でご飯が食べれるのや!」
「もっと俺に感謝しろ!」
妻や子供たちに大声で怒っている自分
妻や子供たちに、不平不満、愚痴、文句、恨み、妬み、嫉みごとを毎日のように言う自分
そうやって自分の存在をアピールして、毎日イライラや怒りでいっぱいの自分を思い出した
大嫌いだった父親と同じように妻や子供に怒り散らしている
「私自身が父親のように家族に恐怖を与える存在になっていた」
17歳の時に誓ったことをふと思い出した。母親と大喧嘩した時のことです
「本気で心の奥深くに刻み込んだあの誓い」
『あたたかく楽しい穏やかな家族を自分で創る』そう心に誓ったのを鮮明に思い出しました
「母親や父親みたいな親には絶対にならない!」
「あたたかく楽しい穏やかな家族を自分で創るために結婚したんだ」と
若くして結婚した本当の理由は「自分自身が、あたたかく楽しい穏やかな家族をずっと求めていた」ということ
「その家族を創るために生きてきたんだと気づいた」
さらに深い気づきが起きてきた
本当は「自分自身が、あたたかい家族に育てて欲しかったんだ」
妻に専業主婦を求め、子供たちが小さかったころは保育園には入れず、妻と子供を一緒にいさせたかった。その本当の理由に気づいた
「自分が子供の頃、親にそのように育てて欲しかった」んだと
自分が「妻と子供が一緒に穏やかに過ごしている光景を見ることによって、自分を癒したかったんだ」
涙が溢れてきた
自分が普段、優しく子供に接しているときは「本当は自分自身がそのように、自分の親に接して欲しかった」
そのように育てて欲しかった
本当は「お父さん、お母さんから優しく愛されたかった」
父親・母親から、あたたかく優しく愛情たっぷりに育てて欲しかった想いが、そこにいたことにやっと気づいた
自分が穏やかにのびのびと過ごせなかった子供時代
本当は「自分が安心してのびのびと過ごせる環境で育てて欲しかった」
「安らかで、あたたかく、楽しい、穏やかな家庭の中で愛されたかった」
そのような「愛情の飢えが自分にあったんだ」と
涙が溢れて、溢れて止まらなかった
心理カウンセリング、心理療法の凄さに驚いた
しかし・・・
ふとあることが思い浮かんだ
もしかして、父親も母親も、自分と同様にあたたかく楽しく穏やかな子供時代をすごしたかったのではないだろうか?
父親は子供の頃に両親を早くに亡くし、他人の家で農作業をさせられて育てられたそうです
母親は父親を早くに亡くし、母子家庭で育てられた
自分だけが犠牲者だと思っていたが、父親も母親もまた犠牲者ではないだろうか?
癒されていなかったのではないか?
深い深い気づきが起きた瞬間だった
まさしく負の家族連鎖だった
誰かが家族の負の連鎖を断ち切らないと終わらない
断ち切らないと自分の子供にも、こころに傷を植え付けてしまう
自分が絶対に断ち切る!
そう、こころに誓った
本当に助けられた瞬間だった
「真の自分らしさに向かう」
【30代後半】
受けてきた心理カウンセリングや、学んだ自分の心と上手く付き合う方法で、
自分が癒され生きやすくなってきたのです
さらに本当の自分らしさに向かいたいという思いが日に日に強くなってきました
子供達には「好きなことをするように」
「自分に嘘をつかないように」そうやって子育てをしてきました
しかし経済的な心配や、人からどのように見られるのだろうか?
そのような心配・不安・恐怖心などを理由に自分のしたいこともせず
言い訳ばかり言っていたのは自分だった
「自分が自分に一番嘘をついていた」
子供に生き方を言う前に、親の生き方を見せることが一番の教育ではないのか?
「親が生きている間に、自分らしく夢にチャレンジしていく姿を子供に見せるのが本当の教育ではないか」
そんな想いが自分を駆り立てるようになってきました
自分らしさの実現のために、一度は諦めたプロドラマーになるという夢
私は「夢にチャレンジすることを決意いたしました」
高校3年生の進路の時に諦めた夢
プロドラマーになることを心に決めたのです
全国ツアーで回るのがプロドラマーだと高校3年生の進路相談時は思っていましたが、演奏家だけがプロなのか?
ドラムを教えるというのもプロではないのか?
ドラムでお金をいただくというのは、演奏家も講師も同じではないか?
そのように想いが変わり、講師としての道を意識し始めたのです
しかし長い間、こころの奥にしまっていた想い・夢をチャレンジすることがやっぱり怖い
受験者の中から選ばれる緊張感や不安感。どこかの音楽教室の講師選考試験を受けて
もし落ちてしまったら・・・
「夢にチャレンジする資格なんてお前にはない!」
心の内側からそんな声が聴こえてくるのです
試験は恐怖でしかありませんでした
子供のころ恐怖のなかで生きてきて、
唯一こころのよりどころだったドラムという楽器
試験を受けにいって、もし落ちたら・・・
子供の時、楽しかった思い出が壊れてしまう
落ちたら、自分を否定されてしまうよう感覚に襲われ試験を受けることができないでいました
しかし、その恐怖心から救ってくれたのは「心理カウンセリング」でした
今まで受けてきた心理カウンセリングや心理療法。
学んだ自分の心と上手く付き合う方法に、また助けられたのです
そして、大手の音楽教室の講師選考試験を受験。
試験会場では、大手の音楽教室の選考試験でしたので受験者もたくさんいます
音大を卒業した優秀生
演奏家としてすでにプロで活躍されている方
強者ばかりです
自分以外の受験者がすごい人達に見えて、自分が小さく小さく感じてしまうのです
しかし、「自分らしく夢にチャレンジしていく姿を子供に見せたい」
このような想いと自分が助けられた心理療法や、学んできた自分の心と上手く付き合う方法を胸に、
絶対にあきらめない強い覚悟で臨みました
当然演奏の試験はあります。私は演奏試験をなんとかパスできました。そしてなんと面接試験までたどり着いたのです
「面接官から、なぜ講師になろうと思われたのですか?」そう聞かれました
私は正直に想いを話しました
「18歳の時、プロドラマーになりたいという夢がありました」
しかし自分に言い訳をし、自分が夢から逃げました
その後、若くして結婚し、子供にも恵まれて生きてきたのですが、
「夢に本気で向かっている姿」を子供に行動で見せるのが、本当の教育ではないかと思うようになりました
子供の存在が私の夢を後押ししてくれたのです
だから今日、この試験会場に私は来ました
眼に涙を滲ませながら話したのを覚えています
もう夢からは逃げないと決めました
一番大切な夢にチャレンジする
そう自分に誓いました
「試験官の方から生徒さんを教える先生というのは責任がともないます」
「もし採用されたら絶対に辞めないと約束できますか?」
試験官の方は真剣な表情で私の顔を直視しながら言われました
私は「絶対に辞めることはありません」
自信と決意を持って答えました
「結果は見事合格!」
念願のプロとしてデビューさせていただきました
その後プロドラム講師として、のべ5000回のレッスンを開催するまでになり、指導した生徒は200名以上にまでなっていきました
また、プロとして演奏の依頼を受けるようになっていき、音楽バンドのプロサポートメンバーとしても活躍するようになってきました
「さらなる自分らしさへ出会うため心のプロになる」
【40代】
さらには自らの経験を生かし、外資系企業に専属心理カウンセラーとして働くようにもなりました
採用していただいた担当の方からは、通常ならば大学や大学院などで心理学を学んだカウンセラーが多いのに、自分自身の生きづらさの経験から心理カウンセラーにまでなった生き様に感動しましたと言われました
ぜひ、従業員専用のメンタルヘルス室リーダーとしてお願いしたいと採用していただき、専門のメンタルヘルス室に私を含め3名の心理カウンセラーとともに、従業員250名の心理カウンセリングを任されるようになりました
うつ・パニック障害・アダルトチルドレン・対人恐怖・休職者が多いなか、一人一人と向き合ってきました
外資系のメンタルヘルス室では、カウンセリングセッション数4000件
グループワークセッション600件の臨床経験をさせていただき、セミナーや講演活動も700件
万引きGメンのカウンセリングでは、万引き(クレプトマニア)・非行・不登校・引きこもり・いじめ・自傷行為・拒食・過食・うつ・パニック障害・家族問題・アダルトチルドレンのカウンセリングなど21000件の相談をさせていただきました
カウンセリングの総実績は18年間で25000件もの経験になります
「もっと早く心理療法に出会っていたらと後悔する時がある」
私の人生を振り返ってみると、もっと早く心理療法に出会えていたらと思う時があります
心理療法を知る以前の私は、家族を創り子供を育てることで、自分の心の傷を癒してきたのではないかと思う時があります。
でもそういう方法でしか自分の傷ついた心を癒す方法を知らなかった
カウンセリングの現場では、心理療法を受けることで短期間のうちに悩みが解決していくことが多くあります
私が10代、20代のころに心理療法を知っていれば、もっと早く悩みから抜け出せ、貴重な時間を無駄にせずにすんだのに・・・
そういう思いから後悔に駆られるときがあります
実際にカウンセリングを受けられるご相談者の方も、このように言われる方が多くおられます。
「もっと早く心理カウンセリングを受けておきたかった」
かつての自分のような悩みのなかにいて
「生きづらさを感じている」
「毎日がつらく生きていくのがやっとだ」
「うつ、パニック障害で悩んでいる」
「人間関係が上手くいかない」
「恋愛ができない、続かない、結婚までいかない」
「休職生活から出られない」
「家族仲が悪く、家がつまらない」
「D Vに悩まされる」
「虐待されている」
「過食、拒食で悩んでいる」
「子供が不登校、引きこもり、ニート生活から出られない」
「子供が非行に走った」
「本人や家族が万引きを繰り返し止められない」
「いじめられている」
「いじめをしている」
「この悩みをどうしていいかわからない」
そして、それを何とかしたいと暗闇でもがき続けている方に受けていただきたいと思っております
心理カウンセリングを初めて受けるときは、とても不安があると思います
「良くなりたい。楽になりたい。」
「でも、本当に良くなるのだろうか・・・」
このような葛藤があると思います。
でも、ほんの少しの勇気があなたの未来を素晴らしいものにしていくのです
どうぞ、安心して何でもお話ください。
心と体の悩みを癒すプロの心理カウンセラーがあなたを全力でサポートいたします
私には守秘義務があります
お話された内容は、同意を頂かない限り、誰にも話すことはありません
ご安心ください
勇気を出して、こころの「深くにしまっていた傷と向き合う」のです
あなたのその勇気を称えます
その勇気を出すのは「本当に怖い」
恐怖に駆られて動けないのは当然です
でも、新たな人生の始まりは勇気が必要なときがあります
ほんの少しの勇気
怖いけど、一度話してみようかな。そう思うところからもうすでに始まっています
長いプロフィールを最後までお読みいただき、本当にありがとうございました
あなたとの出会いに感謝しています
楽しい家族を創る 感動カウンセラー
樂家 りひろ
カウンセリングのご予約
アダルトチルドレン、うつやパニック障害、
適応障害等の心の不調、不登校、引きこもり、
非行、いじめを克服するなら、
三重、愛知、岐阜・滋賀、京都や大阪からの来店も多い心理カウンセリング(心理療法)
「樂家の森」 (らくやのもり)です。
樂家 りひろ(らくや りひろ)に一度ご相談ください。
*お急ぎの方はお電話(050-5850-6950)でも受け付けております。
お問い合わせ可能時間 10:00~19:00
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心理カウンセリングで根本的な心の不調を克服できます。心を癒し、成長させて本来の自分らしさを取り戻しましょう。